「AI YouTubeで月1,000万円」の広告を笑えなかった夜
ある夜、シニア向けにAIで動画を量産してYouTubeで稼ぐモデルを調べていた。 韓国で「月1,000万円」と謳う広告がしつこく流れているやつだ。
最初は職業的な好奇心だった。個人で運営する小さなBtoCサイトでSEOとAIコンテンツを回している自分にとって、構造を分解するのが楽しい類の話。RPMが高い理由、ElevenLabsとVrewの組み合わせ、韓国でシニア向け新規チャネルが1年で30%以上増えた背景——だいたい1時間で見えた。
ただ、その夜は途中で違う場所に着いた。
美しいcaptureの教科書
まず認めなければいけないのは、このモデルの設計が本当によくできていることだ。
時差を読んでいる。英語圏のfaceless AI channelが2023年に発火し、韓国でシニア事案が2024〜2025年に爆発した。日本はまだ6〜12ヶ月遅れている。視聴層の構造変化、技術側の臨界点(TTSと自動編集が同時に実用化)、プラットフォーム側の余白——三つの追い風が重なる場所を、正確に掴んでいる。
これはcaptureだ。 市場の時差・トレンド・隙間を読み、人がまだ立っていない路地に先に立つこと。マーケティングの入り口。ここを掴めない人は土俵にすら上がれない。
エンジニアの自分は、この種の構造分析が好きだ。だから素直に「うまい設計だな」と思った。 問題は次の瞬間に起きた。
それで、彼らは何を建てたのか
ただ、調べを進めると、別の景色が出てきた。
- ・YouTubeが2025年7月に出した”inauthentic content”ポリシーで、TTS+スライドショー型・大量複製テンプレ動画は収益化対象から除外
- ・「名詞だけ差し替えて50本作れる」型のテンプレ動画は判定対象
- ・生き残っているチャネルの共通点は「名前のあるペルソナ・一貫した視点(POV)・台本への変形的解釈」——人間の関与が不可欠
- ・つまり、AIで完全無人化したまま長期で残るモデルは、もう成立しない
ただ、もっと重いのはその先だった。 カテゴリーが冷えれば、彼らは一緒に消える。
ブランドが残らない。固有名がない。視聴者は「あのチャネル」ではなく「ああいう動画」しか覚えていない。アルゴリズムが連れてきた人を、アルゴリズムが連れ去る。残るのは銀行口座の一時的な数字と、対象除外通知だ。
もう一つ、ずっと引っかかっていたものがある。 「これって誰かを実際に良くしてるんだろうか」という感触。
シニアの視聴者が「健康情報を知りたい」と言って動画を見ているとき、本当に欲しがっているのは情報ではない。たぶん孤独だ。リアルでも家族でもなく、淡々と話してくれる「声」を欲している。情報を売っているように見えて、寄り添いを売っている。
ところがAI量産モデルは、寄り添いの形を借りて、寄り添わない。視聴者は1本見て少し気がまぎれて、また次の1本を再生する。それを1年続けても、視聴者の生活は変わらない。運営者の口座だけが一時的に動く。買った人が、買う前より良くなっていない。
これがcapture-onlyの本当のコストだと思った。 短期の数字ではなく、関係が積まれないこと。
8年、自分は何を磨いてきたのか
そう書きながら、視線が自分の足元に戻った。 戻ってみると、自分が立っていた場所はシニアYT運営者の対角線にあった。
8年、BtoB SaaSのマーケティング系プロダクトでMA機能を作ってきた。リードがどう流れ、スコアがどう計算され、ワークフローがどう発火するか。エンジニアとして「良いプロダクトを作る」ことに時間を使ってきた。そのサイトを始めたときも、最初の判断基準は「市場が今欲しがる順」ではなく「自分が解きたい課題」だった。日常で起きている小さな困りごとは実際にあるし、その判断ロジックを正しく作ることに集中した。
これは全部buildだった。 良い物を建てる仕事。誰かの問題を実際に解決しようとする仕事。学習可能で、外注しにくく、時間がかかる種類の仕事。
シニアAI YouTubeを冷ややかに見ていた自分は、彼らの対極にいた。 彼らはcaptureだけを磨いた。自分はbuildだけを磨いた。
ここで初めて、手が止まった。 buildだけでも、たぶん同じくらい片足だ。
良い建物を建てても、誰も通らない路地に建てれば、誰の人生にも届かない。自分のサイトの判断ロジックがどれだけ正確でも、その情報を必要としている人が今この瞬間どこで何を検索しているかを読まなければ、建物は空いたまま。本業で作った機能がどれだけ良くても、それを今欲しがっている特定の人にどう届けるかを設計しなければ、機能はリリースノートの中で死ぬ。
シニアAI YouTube運営者は、立派な路地を見つけて空っぽの建物を建てた。 自分は、人通りを確かめないまま良い建物を建てていた。 鏡像だった。
マーケティングは両側で立つ
ここでやっと、二つの言葉が同時に要ることに気づいた。
capture——市場や時代から機会を借りる。どこに建てるか、誰に届けるかを読む力。 build——借りた場所の上に、自分のものとして残るものを積む。建物の質、関係、特定の人を実際に良くする力。
時差・トレンド・隙間を読み、空いた路地に先に立つ。
市場が貸してくれた機会。返却日が来れば消える。
固有名、関係、特定の人を実際に良くする力。
返さなくていい価値。自分の資産として残る。
マーケティングは、たぶんこの2つで一つだ。 片方だけでは街は成立しない。
入場券(capture)だけを集め続ける人は、会場をぐるぐる回るだけで何も残らない。シニアAI YouTubeの多くの運営者が今直面しているのがそれだ。 逆に、建物(build)だけを磨いて入場券のことを考えない人は、誰も来ない会場に立派な椅子を並べ続ける。8年の自分のことだ。
littlebetterという名前
このサイトの名前はlittlebetterだ。
最初に思いついたとき、深く考えてつけたわけではなかった。ただ「ちょっとずつ良く」というニュアンスを残したかった。今夜、書きながら、その名前が自分にとってbuildの言語だったと気づいた。
捕まえた人を、ほんの少しでも良くして帰す仕事。 来週も来月もそうあろうとする態度。 1回の取引ではなく、続く関係。
8年磨いたbuildの態度を手放すつもりはない。それなしでは建物が薄くなる。 ただ、どこに建てるか・誰に届けるかを、自分はずっと軽く見すぎていた。次の8年で同じ重さで考えるべきはそれだと、今夜やっと言葉にできた。
明日から、問いが変わる。 「どう建てるか」だけでなく、「どこに建てるか・誰に届けるか」を同じ重さで。